四回にわたって、27年度、研究室で行われた卒業研究を紹介いたします。

今回は、障害者スポーツの話です。

ここ最近、オリンピックイヤーと言うこともあって、「パラリンピック」と言うことばをよく耳にします。

ところがパラリンピックの知的障害者競技は、2000年に開催されたシドニーパラリンピック以降、しばらく開催されていませんでした。

理由は、知的障害バスケットボールで、スペインチームの選手替え玉事件が発覚したからです。少々信じ難い話なのですが、優勝したスペインチームの選手、12人のうち、10人が知的障害のない選手でした。

後に、内部告発によりこの問題が明らかになり、それ以来、パラリンピックの知的障害者の競技については、ロンドンパラリンピックで一部復活するまで開催されませんでした。

そのため知的障害者のスポーツ大会は、パラリンピックよりもスペシャルオリンピックス(SO)に注目が集まっています。

スペシャルオリンピックスの起源は、あのジョン・F・ケネディの妹のユニス・シュライバーが、自宅の庭を開放してデイキャンプを行ったのがその始まりと言われています。

一説には、ユニスの姉のローズマリー(障害があったと言われています)との生活に、その活動のきっかけがあったとも言われています。

つい最近、このスペシャルオリンピックス日本冬季ナショナルゲームが新潟で開催されていたので、新潟県では、馴染みがあるスポーツ大会なのではないでしょうか。

さて、今回のボイスジャーナルでは、スペシャルオリンピックス・バスケットボール ビギナーズプログラムのコーチとなってしまった(!?)学生ボランティの話です。

彼は、もともとバスケットボールをやっていた訳ではありません。もちろん、指導についても素人でした。バスケットボールの技術向上に何が必要なのかもわからないわけですから指導を受けるアスリートも、どうしたら上手くなるのか、わからないわけです。

これまでにも学生の卒論や、ボランティア活動をみていて思うのですが、教えるためには、やはり一定程度の知識や経験がないと、どうすることもできません。指導する技術(必ずしもフィジカルなものを意味しませんが)がないのに、指導についての研究など、本来は出来ないはずなのです。

「障害者スポーツなら、自分でも教えられる」などと言う気持ちは大間違いであり、その程度の準備で研究がうまくいくと言うことも100%ありません。

もちろん、共に活動すると言うことに、意味がないわけでもありませんし、それ自体を否定をするものではありません。

ただ、この数年、いろいろな形で余暇指導というものに関わってきて、技術の向上が子どもたち、生徒さんたちの「生活の質」を大きく変えていくことを感じています。そこから、際限のない向上心につながっていく可能性もあるのです。

そんな彼らの「もっと、うまくなりたい」と言う気持ちに応えるためには、当然、高い指導技術は必須の条件となります。

そこで今回、この研究を進めるに当たり、私が学生とかなりの時間、議論してきたことは、「教える側の専門性」についてです。「障害者にどうやって教えるか」ではなく、「障害者に教えるために我々に必要とされる専門性とは何か」こそが、実はこの研究の鍵になっています。

そのために、彼や私が持つ強み(そのほとんどは特別支援教育について学ぶ中で、私たちが手に入れてきた技術)をどれだけ活かしていけるか、フィジカルな動きの弱さ、圧倒的に不足しているバスケットボールの専門的知識を、誰のサポートを得ることで補っていくか(外部のスペシャリストを研究に引き入れるバイタリティ)について、準備の段階から随分と話してきました。

その成果が、今回の研究ということになります。

ボイスジャーナルでは、いろいろと紆余曲折あったエピソードも交えて、対談しています。

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