対談 平野志織 × 有川宏幸「カワイイ、キレイに障害はない!」

昨年度に続いて、今年も化粧についての研究をしました。私がこの研究に対して魅力を感じているのは、どうも化粧行動というのは、女性にとってはとても強化されやすい行動なのではないかと言う点です。もちろん、化粧自体もそうですが、化粧が上手に出来ればそれに文句を言う人はいないし(もちろん、上手く出来なければ笑われてしまいますが、基礎化粧はコントのような失敗はあまりありません)、キレイ、カワイイという賞賛を得やすい。教える側も、教わる側も、仕掛けがわかりやすいので、指導としてのハズレがあまりない。

 

これは昨年の話ですが、化粧教室を企画し参加者を募ったのですが、本人よりも周囲に強く勧められしぶしぶ参加した方がおりました。一回目は、「なんで私がこんなことしてんの」というそぶりを見せていたのです。

私は、「たぶん、この教室が終わったら彼女は二度と化粧をしないだろうな」と思っていました。が、これが回を重ねるごとに彼女の態度はずいぶんと変わり、とても能動的に参加するようになっていったのです。

そして、教室が終わって二か月ほどたったときに、たまたまその方が通われている施設の職員と話をする機会がありました。「先生、聞いてください。最近、○○さん、時々化粧してくるんですよ」・・・実は、その職員の方は、彼女が化粧教室に参加したことを知りませんでした。

最近、私は、「きれいになりたい、かわいくなりたい」という気持ちは、普遍的なものであると考えています。ご飯を食べたいと思うのと同じように、もともとあるものなのではないかとさえ思っています。

 

さて、昨今、特別支援教育の分野では、子供達の自己肯定感、自己効力感の向上や低下に対して何らかのアプローチの必要性があることがあちこちで言われています。

一般的に、よく言われているのが「褒めて伸ばす」や「自信を持てるような活動を提供する」といった非常に抽象的なアプローチ(といってよいのかもわかりませんが)を実践するように求められます。何も考えていなかったときは、私もこのような教科書的な話をよくしていましたが、最近は、あまり口にしません。

 

もちろん、明らかに自己効力感や肯定感が著しく低下し「何も始められない」という状態にある子どもや成人の方に対して、上記のような考え方に基づき、何らかの方策を考えることはあります。

 

ただ、自分自身がこれまで、改めて自己効力感や自己肯定感について考えてきた経験が日常的にあったかと問われれば、実はそれはあまりありません。「あまり」と書いたのは、高校生や大学生の時に、好きな女性に振られていたときに「一体、自分の何が至らなかったのだろう」と考えたときに顕著だったくらいだからです。つまり、はっきりと自分自身が他人に受け入れられなかったとき、否定されたときにはじめて気づくのです。私の場合、こういうときは、とにかくモテている友人には有って、自分に無いことは何かを探していました。それでも、自分の事は意外とわからないものです。悩んでも答えがあるわけではなく、人に相談すれば、自分の「弱さ、足りなさ」だと思っていたところを「そこが、よいところなのに」と言われたりするわけです。

 

こうなると、自分が思う自己肯定感、効力感の問題と、周囲が勝手に考える「私の肯定感、効力感」は、必ずしも同じとは限らないのです。周囲が決めた「私の効力感、肯定感」を勝手に高めようと「あれこれ」言われたところで、当の本人はまったく違うところにコンプレックスを持っていたりするわけですから、こういうことを問題にすることは、時として迷惑な話でもあるわけです。

 

少し話が逸れましたが、要するに、人は人と比較されたり、人に否定されたときに自分のアイデンティティに疑問を持つのではないかと考えるわけです。

 

なので、こうした経験がない、あるいは他者視点に立てなかったり、自分を客観的に見られない(メタ認知が苦手な人など)時には、そもそもが自己効力感や肯定感は問題にならないのです。障害者は、みんな自己効力感や肯定感が低いと決めつけ、周囲が勝手に問題視したりすることには警鐘を鳴らしたいと思います。勝手に決めつけてはいけません。

 

実際、彼らが自分自身の評価を低く報告するのは、実は、私たちが彼らに自己評価を求めたり、報告を求めたときに顕著に現れるのではないかと言う仮説を私は思っています。実際、この数年私たちが行ってきたいくつかの研究の中、こういう現象は顕著に現れています。

 

このような現象を、心理学では「セルフハンディキャッピング」と言います。わかりやすく言うと、そこそこ自信があっても、人に評価されているとわかった場合、私たちは敢えて「全然、だめ」とそれこそ効力感、肯定感を低く“報告します”。実際は試験勉強をとてもがんばり、そこそこ自信もあるのにも関わらず、失敗したときの保険をかけるため、「やっべぇ、俺、全然勉強してないわ。もう無理だ」と言ったことはありませんか?

 

周囲の評価を意識すれば誰にでも起こる現象です。今回の研究では、化粧教室の指導役を任された障害当事者が、最高のパフォーマンスで、ほかの障害のある化粧教室参加者の化粧スキルの獲得に貢献していながら、自己の評価に対してとても厳しかったことで、この現象が起こっていたと考察しています。

ボイスジャーナルでは、最後にこのあたりの研究上の課題についても話をしています。

対談 平野志織 × 有川宏幸「カワイイ、キレイに障害はない!」

ボイスジャーナルでは、この研究の裏話や苦労があった点について対談しています。また、この研究の紀要原稿はこちらです。