特別支援教育ボイスジャーナル

対談 本間美咲 × 有川宏幸「“障害者を変える”から、“健常者が変わる”コミュニケーションへ」

 

大学院時代の私の専らの関心は、「なぜ、障害者にばかり変化を求めるのか」と言うことでした。今から20年以上前のことです。ちょうど、その頃、アメリカでは「障害をもつアメリカ人のための法律(通称 ADA法)が施行され、日本国内でも障害者の差別禁止法について議論が起こっていた時期です。

 

今考えると、あのころの自分はよく勉強していたなと自画自賛したくなるのですが、とにかくこの新しい動きにとても敏感でした。少しでもこの法律について知っている人がいると聞けば、おしかけていって話を聞きまくっていました。法律の専門家でさえ、いろいろな考え方があったので、学生の私の考えでも興味を持って聞いてくれる先生もおりました。

 

何を話したのか、はっきりとは覚えていませんが、私の「差別」についての考え方は、当時の日本国内ではあまり一般的ではない考え方であると言われ、随分と興味を持ってもらいました。

 

当時の私の疑問は、「一体、ADA法の中ではなにが差別なのだろうか」というただ一点です。当時のアメリカ国内でも、実は議論の真っ最中だったのです。

法律が施行されてまだ数年しかたっていないこともあり、判例も少なく「これが差別」ということを十分に説明することは難しく、ケース バイ ケースでした。たとえば就労について、当時のアメリカ人研究者の説明によれば、障害があることを理由に採用を拒否した場合、それは差別に当たるというものでした。

 

当時の私は、「障害があることで、できない仕事もあるではないか」と言う疑問があったのですが、その問いに対しては「それは能力の問題であり、障害の問題ではない」というのです。「う~む、よくわからんが、障害の有無を問題にするのではなく、能力の有無を問題にするのか」ということは理解できました。となると「障害」とはどういう状態を意味しているのだろう、と新たな疑問がわいてくるわけです。

そもそも「障害」とは何らかしらの能力上の違いを意味する言葉だという考えしかなかったのですね、当時は・・・。で、この矛盾を解消するには、そもそも「障害」のラベルを貼る側の問題について、考えなければならないと発想を180°転換するしかなかったわけです。

まだ社会モデルという考え方は、国内ではそれほど議論されいなかったので、かなり混乱はしましたが、現実にはそう考えるしかない。

 

こうなると、私の研究テーマはどんどんと、差別する側の人間の問題に向いて動いていきました。私の所属していた研究室は、自閉症のコミュニケーション研究を盛んに行っていました。当然、私も自閉症のコミュニケーションを研究テーマにしましたが、私の場合は「自閉症の人たちとコミュニケーションをする、健常者」を研究対象にしようとしていました。

残念ながら、私の力不足と、そうした研究を実現するためのフィールドの確保がとても難しく、残念ながら完全な形で研究を進めていくことは困難でした。

さて、2014年1月に、日本でもようやく障害者の権利条約が批准されました。また2013年6月には、障害者差別解消法も成立しました。

 

20年前にできなかった研究は、おそらくこれから先主流になってくるかと思います。

「障害者を変えるのではなく、健常者を変える」

そのための研究がもっと増えるとよいと考えています。今回の研究は、とても負担が大きい研究でしたが、学生がかなりがんばりました。とてつもなく強い思いをもって研究に取り組んでおり、丁寧に研究計画が練られていました。そのため随分と緻密なデータが得られています。

そして「健常者」を変えれば、障害のある人たちのコミュニケーションは豊かになることも明らかにしています。

ボイスジャーナルでは、この研究の裏話や苦労があった点について対談しています。

また、この研究の紀要原稿はこちらです。

対談 本間美咲 × 有川宏幸「“障害者を変える”から、“健常者が変わる”コミュニケーションへ」