対談 倉島崇彰 × 有川宏幸「障害者アートが、教育を変える」

 

前回のボイスジャーナルをアップした後、匿名「おすしやさん」から、「もし障害をもっている美術科の学生さんが描いた絵であった場合は、インフォメーション「あり」と「なし」ではどんな差がでると思うか」と言う、「お便り」をいただきました。

こういうことをあれこれ考えてみることから始めることが、私はとても大切な事だと思っています。

研究と聞くと、とかく難しいことのように思われますが、こういう疑問を考えることから始め、実際にそれを確かめるためのアイデアを出し、やってみる、と言うただそれだけの活動です。アートと一緒の創造的活動なのです(と、私は考えています)。

私は「おすしやさん」の視点、とても面白いと思います。これこそ確かめてみない事にはわかりませんが、もしかしたら、私たちが何を優先して自己の価値判断をしているのか、よくわかるかもしれませんね。

特に自身の中で矛盾する認知を抱えると、人は不快感を持ちます。このままの状態でいることは不快であるため、それを解消しようとします。そして、どちらかの認知を変えることになります。こうした現象を、社会心理学では「認知的不協和理論」と言います。

ひとつ例をあげると、ある作品を見て、素晴らしい作品だと認知したとします。その後にこれは「障害のある人たち」の作品であるとわかったとします。もし日頃から、障害のある人たちの作品は価値が低いと見ていた場合、ここで大きな矛盾を感じることになります。この矛盾を解消するために、どちらかの認知を変化させなければ矛盾は解消されません。そこで、この矛盾を解消するために「なんて素晴らしいんだ、障害者の作品は!!」と強く思い込む可能性が出てきます。もちろん、この逆の場合も当然、起こり得ます。

実際、「認知的不協和」は行動レベルでの変化を伴うことがあるので、こういう戦略もありではないかと思います(ただし、偏見や差別を助長する場合には、慎重にすべきと考えます)。

「認知的不協和理論」については、フェスティンガーらの著書である「予言がはずれるとき」(勁草書房)と言う、ちょっと面白い本があります。世界の破滅を予知したある宗教団体が、その破滅を予知していた日に、何も起こらなかったにも関わらず、その後、なぜか宗教的活動により熱心になっていったと言う実際にあった話が綴られています。本は、外税で5000円と少々高いお値段になるので、図書館などで借りてみてはいかがでしょう。

さて、今回のボイスジャーナルは、価値づけの変化について調べています。

私たちは、障害者と言う情報を伏せた時には、作品の価値づけはどのように行うのかと言う実験を行いました。いくつかの条件で調べてみたのですが、作品の価値を高く評価する傾向が見られたのは、あるモデルさんの作品に対するコメントと顔写真が提示された条件でした。

これは、さまざまな啓発的活動でよくとられている戦略です(○○時間テレビもその一つでしょう)。ただ、この研究を通じて、一つの危険性についても示唆しています。それは、社会的影響力を持つ人たちの存在に目が行き過ぎることで、本来注目してほしい本体が見えなくなってしまうことです。このあたりについても、ボイスジャーナルの中で対談しています。

 

ボイスジャーナルは対談 倉島崇彰 × 有川宏幸「障害者アートが、教育を変える」

また、この研究の紀要原稿はこちらでご覧いただけます。