小出薫氏(糸魚川きぼう法律事務所)との対談も、今回が最終回です。
最終回は、「権利の教育」について議論しています。
障害者差別解消法について考えるときに、そもそも「権利」とはなんぞやという問題があります。「生まれながらにして持つ権利」は、とても感覚的なものです。
そして法律は、その「権利」を保障するために存在しているにもかかわらず、日本では「法律=きまり」の重要性こそ教わるものの、肝心の「権利」の言語化を熱心に教えてきません。
一つは、その言語化が社会システムを乱すという思い込みがあるかと思います。つまり、みんなが「権利」を主張ばかりしていたら、身勝手な人間が増えてしまうという不安です。
それも一理あるかとも思いますが、そもそもが自分の生活を振り返ってみると、食べたいものを食べるという権利を行使するときに、これを身勝手な行為だとは考えません。そして、これが「権利」であるということを、そもそもが認識していません。
もし私が食べたいものを選べないシステムを持つ社会に放り込まれたら・・・
きっと「どうして好きなものも食べられないのだ」と、その理不尽さに気づきます。「食べたいものが食べられる」ということを過去に経験し、知っているからです。
でも、生まれたときから「食べたいものも食べられず、好きなものを選べなければ・・・」。それができることが権利であると言うことを知らなければ・・・・。
おそらく、この理不尽さに気づくことはないでしょう。
つまり、ここで「教育」が必要なのだと思います。本来あるべき姿のイメージがなければ、当然、「権利」を訴えるという行動には至らないでしょう。
「生活保護のもらいかたを知っている」ということ、「福祉支援を得る」ことの重要性について、教育することは、本来であればとても大切な事なのではないかと思っています。
「そんなこと教育したら、誰も働かなくなるではないか」という考えもあるかと思います。でも、もし教育の結果、本当にそういう若者が増えたとしたら、それこそ「社会参加の意義」「労働の喜び」を教えることができなかった「教育」の敗北だと思います。
ボイスジャーナルの中で、曖昧な表現がありましたので、ここに訂正いたします。
正確には、「13歳からの生活保護」ではなく「14歳からわかる生活保護」(雨宮処凛 著・河出書房新社)です。こちらの本のすごいところは、巻末にコピーして使えるように、生活保護の申請書類の様式があります。こう言うこと、本来は学校で教えなければなりませんよね。
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