今日から、昨年度にひき続き、施設向けの連続研修がスタートしました。今年は15名+その他と、去年より人数を増やしました。「たったの15名ちょい?」と思われるでしょうが、去年は5名のみでの開催でしたから、今年は三倍に増やしたことになります。

希望者はそれこそこんな人数ではとても足りないようでしたが、私が「精鋭を5名だけ選抜してほしい」と無理なお願いをし、それを聞き入れてもらったからです。研修が人を育てるものである以上、本来であればどのような参加者でも受け入れるべきですが、私が目指していたのは「私のコピー」になる人を養成したいということでした。なぜなら、私以外の人間が私と同じことができれば、いずれはねずみ算式に、私の考えを拡大できる可能性が高いと考えたからです。精鋭であれば、教えるコストが少なく早く成果を上げやすく、波及効果もその分大きいと言う計算があったからです。

そこで選ばれた精鋭たちは、それはもう見事に実力者揃い。そして、気付いたことは精鋭とは、すでに何らかの技術を身に着けている突出した状態の人であり、プロ中のプロと言うことです。腕に、自信もあるのです。

その彼らに対して、私は「これまでのことはいったん忘れて、私の言うとおりにしてください」ということを試みようとしていたわけです。まぁ、これ以上あげられないほどハードルを自分であげたことになります。自分で自分に無茶振りしたわけです。そもそもが、コピーなど、とんでもない話なのです。

これまでもこうした条件を出して進めてきた研修はいくつかあり、うまくいったことに味を占め、こちらから条件が出せる場合はそのようにしてもらいます。ただし、複数年度ですすめられる、ちょっとしたプロジェクトの場合に限ります。数年後に大きな成果を得るためには、こうした戦略をとるべきと考えています。実際に学んでいるのかどうかもわからないのに、人数だけ集める研修に大きな成果を期待しても、それは宝くじを当てるようなものです。

そんなこともあって、今回も無理なお願いをしたのですが、5人と言う少人数は初めてです。

ところがこれが間違いの元でした。この考え方はあまかった。選抜される精鋭の人数が少ないということは、その分、個は突出しているのです。精鋭であればあるほど、少人数であるがゆえに、適当にまとめていくことは困難なのです。

要するに、私は個々に十分に腕のある職人さんを、意図せず集めてしまい、その職人に対して「今までのことは忘れて、私の言うとおりにやってください」と偉そうに言っていたことになります。そんな中で、職人同志はお互いをリスペクトしている関係です。

「先導できないかもしれない」という状況にあることは、すぐに理解できました。ここから毎回、頭を抱えることになったのです。

もちろん研修は、個人で受けているのですから「学び」と言う点では何の問題もありません。実際、成果もなんなくあげてきます。

問題は、それが研修の結果によるものなのかどうかが不明なのです。学びのプロセスが不透明なので、「なぜこの説明で、こういう反応になるのか」「この説明の段階では、このような答えは出ないはずだが・・・」と言うことが次々と起こるわけです・・・。

教える側としては、このようなことが起こることが、実は一番不安なのです。子どもが右向いたり、左向いたりしていると不安になるのが、教壇に立つもの性なのです。教えたことに忠実に従ってくれていないと困ってしまうのです。

なので、イレギュラーな反応には修正をかけようとしてしまいます。

修正をかけたくなる理由は簡単です。こちらが「学び方」を一つしかないと思い込んでいるからです。言ったとおりに学ばなければ誤学習している可能性が大きいと考えてしまうからです。さらには、「なぜ、そのように考えるか」と言う問いに、こちらが予測していない論理で説明されると、それが理解できないからです。

だからつい言ってしまうのです。「言ったとおりにしてください」と。

もっとも、その程度の修正を素直に聞いてやっていたのでは、おそらく精鋭にはなっていないのではないかと思います。

今日も、雑談している時に「実は、成功までの間にはとてつもなく多くの失敗を繰り返している」と言う話を聞きました。成功していることなんか、ほんの一握りのことなのです。言うことを聞かないのではなく、一つ二つの知識では、数多ある失敗を乗り越えるには不十分なのです。彼らが知りたいのは、決まっている知識でも、新しい知識でもなく、多くの失敗から得た知識、実際にやってうまくいった知識なのです。自分がやって「本当に役に立った」知識なのです。

職人の知識は、すべてが過去形なのです。

「○○○でなければならない」と言うやり方に、どれだけの可能性が押しつぶされてきたことか考えてしまいます。幸い!?、今回の精鋭達は私の言いなりにはなりませんでした。私も無理に軌道修正などせず、かなり早い段階で、今ある技にどう私の伝えたい内容を、融合させていくかと言う戦略に転換しました。

おかげで昨年度の研修終了時点では「私が教えたこと」が彼らの中に残っていたかもわかりませんでしたし、それを確認できるデータも手に入りませんでした・・・。彼らが十分に理解していたとわかるのは、研修からずいぶん経ってからです。おそらく、私の話を聞いたからではなく、いろいろと実際にやってみながら掴み取っていたものなのでしょう。

そして今日からの研修は、この精鋭5人にお手伝いを頼んでいます。グループリーダーとして、各グループで私の伝えたいことを、さらに実践レベルに落とし込んでもらうお仕事をお願いしています。おかげで私の話は、彼らの「過去形」に脚色され、多少のリアリティを身に着けました。完璧なファシリテーション、正直、私はいらないのではないかと思ったくらいです。次回以降、私の仕事は減らす必要があります。

また、一名の方には職人ではない私を、直接フォローしてもらう役をお願いしました。もともと、私にはないものを、たくさん持っており、彼に頼ることで私の強みを活かしてもらうという、なんだかあべこべなスタイルで進めていくことにしました。

これが私が昨年、失敗の中で学んだことです。「私のやりたいようにやらせる」のではなく、「彼らがやりたいようにやる」ことこそが、彼らから私が学んだことなのです。

このやり方で、教科書通りに今年の受講生の理解を促せるかどうかは不安もありますが、もしそうなるのであれば、それこそ私自身の教え方の問題です。彼らの問題ではありません。

そもそもが、私自身が「教える職人」でなければこの関係はすぐに立ち行かなくなります。これは、かなり怖いことでもあります。

でも、それが職人と仕事をする上での作法である、そんな気もするのです。